it's ALL right


so goodな毎日のつづき
by mizuki_n0314
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仕事の根っこ

今日は普通の一日だったけど今までのもやっとしたことがだからだ!みたいに思えた事案があって冴えている。
思ったところからtwitter に書いていったのでそれをまずはコピペします。

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*twitter逆時系列なので下から読んでいただければ幸いです。

関係ない。

もーダルビッシュの恋人えらびが本当に自分の頑張りで自信をつけた男のそれだなと思って気持ちよすぎるから。

なんのために集めんの。

仕事柄そういうのと隣り合わせですが、積極的にそういうことに対してノーな人たちを集めて行こうと思っています。

もープチ社会貢献して結局救われてるの自分だけみたいなケース多すぎだと思う。

この仕事していろんな人に会っていると片手間でやっている人と自分の何かを賭してやっている人のどこまで深く行けるかちゃんと考えて実行できるかみたいなところに差が出て来ているのも感じてる。一方で、自分にある程度の余裕がないといい仕事ができないのも然り。

たとえば気軽に寄付できるとか少しの期間でもボランティアしてくれると助かるとかそういうの分からないではないし、そのグロスが力を持つことも分かるけど、でもリスク取らないよね、自分は自分のひゃっはーな生活の片手間だよね…みたいに半目で見てしまう私がずっといる。

とりあえずみんななんちゃらデザインとかディレクションって言いすぎだと思う。

総合商社に新卒で入った友だちが3年で辞めて今はコピーライターなんだけど、転職理由を聞いた時に恥ずかしそうに「商社って人が作ったものを流して利益を得る仕事やん、なんも生み出してへんやんって思ってんねんな、で、作る仕事したいって」って言ってて蒼さ!!と思ったけど感覚分かる。

例えばNPOをやるということや音楽をやることなど今「どうせお金にならないし大変だし」みたいに特に思われているお仕事に対してこれからの人たちが憧れて目指してくれるよう、将来の担い手がでてきてその世界が盛り上がるようにって自分の有り様を見せている人たちに私はとても惹かれる。

1周まわってやっぱりお金が必要だビジネスとして成り立って持続可能なのが大事だみたいな論調あるの気になるけど、お金を寄付するのは大事だけどそれを担う人材、人生の一部をそれに捧げる人を作ることの大事さないがしろにされすぎだと思う。

とりあえず社会貢献とかソーシャルデザインとか言えば人も関心も集まるというのは分かるけど今のその流れに乗りたくない強い気持ちがある。

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私の仕事と関心柄、地域やコミュニティ、社会貢献、デザイン、本などのわちゃわちゃしたものと触れることが多い。
でも私はけっこう最近のこれらにまつわる動きには懐疑的なところがあって、実際に講座を申し込んでも違和感に耐えられず行くのやめたり、なんだかどうだかと思って本を買って読んだけどこれで金取るんだ!楽なお仕事!!とか思ったり、でもどうしてなのかがぼんやりしていた。

ひとつひとつ大事な問題だと思うので今後ひとつひとつ書いて行くとして、今日上記のようにtwitterに書いたきっかけだけ書きたい。

Amazon で中古の本を買う方は目にしたこともあると思うが、中古の本の買い取り販売をしている割と有名な会社がある。
何で有名かというとその売り上げがどれだけ寄付にまわったかという社会貢献という側面だと思う。
それは仕組みとして成功例と言ってもいい一面はあると思う。
だが、だいぶ昔にAmazon でよく見る中古書店だなと思って気になって調べたが、なんか腑に落ちないところがあって、最近はほとんどないのだが、稀にAmazon で本を買うことがあってもその書店(書店って言っていいのかすら私は懐疑的だが)では買わないようにしていた。
性格が悪いのでなんかしっくりこない人が儲かっているのがイヤだったのだ。
しかも社会貢献っていうものの捉え方が好きになれなかった。
そもそも社会貢献という言葉すら私は嫌いというか、逆に貢献してないものを挙げたほうが早いと思っているし。
そして、それは正直自分ができない、思いつきそうで思いつかなかったことを成し遂げている人への嫉妬なのかなとも思っていた。
でも今日明らかに違うと確信した。

もうここまで書くときっとどこの企業を指しているのか分かると思うので、私が疑問に思う、どう考えているのか聞いてみたいところは以下のところだ。

・古本を買い取り販売する行為単体で著者や出版社にはお金は入らない。場合によってはその本の新品の売り上げを圧迫する可能性がある。
→本好きとして本を商材とするひとりとして、本を作った著者や出版社の利益にできる仕組みを考えたいとは思わなかったのか。これを個人のレベルならまだしも大規模に新古書と言われる本屋さんに普通に並んでいて読者の手元を離された本でやるということに対して抵抗はなかったのか。(絶版の本やエディションを切られている作品集などは別だと思います)大規模になった今それらの方々への考えをどう置いているのか。

・社会貢献と言うがお金を寄付することが社会貢献なのでしょうか。
→すみません、経営、悪い意味での経営、お金を生み出し流すことしか見えないのですが。
それは大事なことだとも思っています。でも社会貢献=寄付という一義の見られ方でいいのですか。
現場に行かれたのでしょうか。その現場で何が必要とされ何が足りなくいくら必要なのか、お金以外には何が必要なのかどんな取り組みをされていらっしゃるのか、もう少し詳細に報告する必要があるのではないでしょうか。

・自分の本をブックオフに売るくらいなら寄付をしようと送っている方々。
→その気持ちが悪いとは思いません。でも、もったいないしで自分は社会貢献をしたとどや顔で言っている人、私はお友達になりたくありません(あっちもなりたくないと思うけど)
ネットや電話でおうちに取りに来てくれて、休日に家でごろごろしながらひきこもりが助かればいいなあなんて甘い考えだと思います。
本当に微力だけどなにもできない自分としてはせめてくらいの意識があればむしろウェルカムなのですが、現場で足りていないのは自分の人生の一部の大事な時間を使って本気でその課題に取り組める人です。
ひとり暮らしで自殺のリスクがある方に通院を促し働きたいと思う方には働けるようにお手伝いするまで、毎日何が行われているか知っていますか。
その現場の方がどこにやりがいを持ち自分に問題を問うて知識をつけてやっているか分かりますか。
何よりその当事者の方がどのような思いで苦痛を味わいそこまで切り拓いているか想像したことがありますか。
もちろんその活動には活動資金が必要です。むしろ資金難なので支援してくれるなら有り難い部分もあると思います。
でも、手軽に寄付、手軽に社会貢献、手軽に人の役に立つ、私はあんまり好きになれません。
その小さな薄いモチベーションがグロスになるとすごいうねりを持つのも知っています。
でもうねりを持つからこそ慎重になるべきだと思うのです。
消費者として食品は顔の見える生産者のものを食べる、有権者として1票をムダにしないで投票に行く、そういうことを思っている方は増えているのかなと思います。
でも、これらは、さんざん警鐘が鳴らされて来た分野だからかもしれません。
ボランティア、社会貢献、とその行為をすればとりあえず何もしないよりはマシ素晴らしいみたいに諸手を挙げるのがキケンなの、そろそろいろんな人が分かるべきだと個人的には思います。
耳障りのいい従来のイメージで礼賛するの、やめませんか。
と、人の役に立つ仕事でいいですね、社会貢献性の高いお仕事ですね、とよく分かってない他人に言われることの多い現場の人間の私は思います。

・で、ここまでアツく書いてしまったのだけど、私が思うにこの企業の代表の方には考えがないんだと思う。なんかふわっとした感じで始めたら思うより当たってしまって話が大きくなって人がわらわら寄って来るからなんとなくそれぞれと一緒に仕事をしたらこうなった的な。下心があるというより「あ、そうかもですねー」な天然みたいな。
→働く人がその動機としていること、その方向性を探るのが私のお仕事のひとつです。
これは個人的な感想ですが、元からであれ後付けであれ、その理由づけ(論理的でも感情的でもどっちでもアリ)がちゃんとできる、自分の言葉にできなくても香り立つ人はやっている仕事にもブレがなくて自分がそこで働くことの意味と可能性と弊害やリスクを認識しているのだなと信頼できます。
そう、意味しかない人はいなくて、たいていその人がそこで働くこと、ビジネスを行うことによってうまれる弊害や軋轢やリスクなどのマイナス面もあるのです。
でもそのマイナス面をきちんと理解してそれによって傷つけたり損害を与えたり悪影響をもたらしたりすることに真っ向から向き合って自分の仕事をしながらでもそこの解決、ひいてはそれをプラスにする方法を考えている人はとても誠実です。
それは勇気が必要で自分のプライドだけが高いとできないことだからです。
自分のダメなところをダメと知ることですからね。
オープンに言う必要はありません、でも、例えば同業の目利きが見た時に「え…」って思うことから逃げてるの、知らない他人からカッコ良くみえてもダサくないですか?
私はそんな風に思っています。

なんだか何の話してるのかよく分かんなくなりましたが、一部にしかウケないビジネス本書けるかもくらいの勝手に合点がいった感があった本日でありました。

まとめになりますが、ここに書いたようなこと、できている方ってほとんどいなく、さんざん私が突っ込んだ中古書店の代表の方もその一人なのかなあと失礼にも思ったりしているので、がっかりはしていないです。
人のことは人ですから。
ただ、引き続きそちらの書店から買うことを避けてその活動はウォッチして私の不信感が「あー、ホントすみません、私が誤解してました」になることを願っています。
いや、圧倒的に力のあるポジションにいまいらっしゃる(本、福祉の世界のいち企業、団体という視点から言うとお金と顧客とコネクション、影響力を持っている)ので、どっちかっていうとしっかりやって欲しいです。
でも、だからどうとかではなく、私は私の持ち場をしっかりやっていきます。
やらねばという自戒もこめて。

そしてこれは毎度のまとめになりますが、こういう価値観で居させていただいけるのも、数少ない私の仕事の仕方生き方の先生になる一歩先を歩んでいる同い年くらいのお友達、敬愛する作家さんたちの力強い歩みがあってこそのことです。
そういう人たちがいるから「ええええーーーー」「私がおかしい?いじわる?」「いや、これでよし、これがよし」と思って続けられるのです(全員カンチガイしてるだけじゃね?説も)

最後に、私の大事なお友達のサイコーのお答え
「いい仕事をするには?」
「ほんの少しの能力と、運とカンチガイ」
お後がよろしいようで。
(いや、大喜利じゃなくてこのサイコーさ、分かっていただけると信じてます)

吐き出したんで寝ます。
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by mizuki_n0314 | 2014-11-21 01:01 | work

チャンス

今夜は珍しくテレビを観た。
たまたまつけていたチャンネルで深田恭子さんが出ている「女はそれを許さない」という裁判もののドラマをやっていた。
今回は離婚訴訟。
1話完結のドラマで酒井若菜さんが10年司法試験に落ち続けている夫と別れたいというもの。
テレビドラマだなあという簡単さはあったものの私にも思い当たるいろいろなシーンがあって心動かされた。

相手を思えば思うほど相手を苦しめること。
うまくやろうとしてもうまくいかないこと。
意地を張ってしまうこと。
小さいけれど幸せだった思い出。

結婚はしたことがないので分からないけど、結婚について考えることは度々あって、近い経験もしたことがある。
周囲には結婚をしている人も、して楽しそうにしている人も、もう破綻しているなという関係の人も、まわりには理解されないふたりの距離感があるんだろうなという人もいる。
そして結婚したけど離婚する人もいる。
結局これも私はよそはよそうちはうちだと思う。

では、私はどう思うかというと、結婚イコール最高の絆ではないけれど、最高の絆を作るチャンスをその相手の人との間に得られる貴重な機会だなと思う。
これは自分が4年間苦しい時期を同棲していた相手がいたことや、この人結婚してなかったらいいのにという想いを抱いたことがあることなど、この歳で結婚していない女性ならではの苦い経験をしているからというのもある。
でも、それらは苦い経験である一方、幸せを感じられた経験でもある。

やっぱり結婚の最大の武器はいろいろなことを共有する機会があるということだ。
一緒に暮らしたり、会話をしたり、それぞれの家族がいたり場合によっては子どももいたり。
結婚している人はたいてい面倒くさい一面もあるというのだが、それらをきっかけに相手との関係を深めて行くことができると思う。
他人にはそれができない。
そして、それをしないのならば結婚をしていても他人と変わらないと思う。
というか、それができて関係が深い相手との間にあるものが最高の絆だと私は思う。
それが夫や妻との間でなく、仕事仲間や友だちや恋人や親との間にある人もいると思う。
それはそれでいいと思う。
結婚した相手との間に最高の絆が作れるのが当たり前ではないし、何よりも夫や妻との関係が優先されるべきとも思わない。
でも、きっと人生の後半で一番一緒にすごす時間が長くいろいろなことを共有し手を携えて行く相手は夫や妻なのではないかなあと思う。
だったらそこの関係を最高のものにするほうが人生楽しい気がする。
なんか前向きなのかそうじゃないのか分からないが、どうせやるなら、みたいな感じだ。
私は仕事も同じように、どうせやるなら、楽しく最高のものをと思っている。
きっともともとケチで現実的なのだと思う。

最高の絆の人を選ぶのではなく、この人と最高の絆を作るチャンスがほしいと思う人と一緒にいること。
とてもシンプルだけど、そう思うようになってからいろいろ楽なのだ。
なんか、正解か間違いか、何点満点の何点の結婚をしたかじゃない。
信頼しうるベースがあって、スタートは程度の差こそあれ、1からのスタートだ。
ゆっくり10になっても、プラスマイナスを繰り返して20になってもいい。
1からスタートして2で終わってもいい。
でも私は欲張りだからゆっくりでもプラスマイナスでもいいからなるべく遠くまで行きたい。
そうだ、一緒に遠くまで行ける人がいいというのも最近思っている。
これは私特有なのかもしれないが、先に光を見せてくれてこんなこともあんなこともしたいねできるねといいながらあれこれしている途中でどちらかが先に死ぬのが夢である。
道の途中にずっといたい。
順風満帆でなくても苦労してもいいから道の途中がいい。
変わってるのかな。
でも、これもなんか、そう分かってからいろいろ楽なのだ。
周囲からは大変そうに見えるかもしれないけれど、私は先に光が見えてごにょごにょしている時が一番しあわせだったりする。

とか言って結婚もしていないので説得力はないのだが。
結婚してちゃんとやってたら自分を認めてあげよう。
きっと文句も言うはすだ。
でも、きっと楽しくやっていくだろう。

それにしても山中崇さんってほんといい役者さんですね。
つい出ていると観てしまうのです。
不器用で屈折しているけどピュアな人柄の表現で言ったらピカイチだと思います。
どこかでチェックしてみてください。
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by mizuki_n0314 | 2014-11-12 00:16 | days

自分の持ち場

本屋講座に通ったりリトルトーキョーの市民になったりリトルプレスの準備をしていたり。
担当の学校が10月からかわったり。
自分にとって新たなコミュニティが増えたので今までよりSNSで目にする情報が増えたり。
なんかたまたまかもだけど年齢もあるのだろうけどここ1年くらいで数人の友だちが仕事で一気に階段を駆け上がるような状況になっていたり。

私の日常はそんなに変化はなく、相変わらず寝てカウンセリングしてというのが日々なのだが、ぐらっと波に揺られるような経験が増えた。
そして最近あまり体調がよくなかったりすることもあって、波に一瞬のまれそうになることがある。

でもぐるぐる気持ちが動いていろいろ考えて鎮めると、よそはよそ、うちはうちなのだ。
自分の持ち場をしっかりやることが一番大事なのだ。
持ち場はどこでなにを成すか、どんな表現をするか、どんな役割を担うか、それだけに集中し力を集約するのがよい。

前に写真家の友だちが言っていた。
散々いろんな人の写真の話をした後、でもさ、オレ人の写真なんてどうでもいいんだよね、興味ない。
というか、記憶力が悪いから人の名前も写真も忘れちゃうんだよね。
その時は、まあまあ、と思ったのだけど、真なりだなあと今は思う。

この間友だちの女性と話していて彼女がなるほどなあと思うことを言っていた。
人の批判や悪口を言う人って、自分がどう思うかの意見がないんだよ、ないから人の意見ベースでそれに対するイエスノーしか言えないんだよ、だってさ、自分が何かアイディアがあったりこれだっていう意見があったらその話するよね。
たしかに、仕事のできる友だちクリエイトしていける友だちは文句なんて言っているより自分のビジネスの話がどんどん出てきて終電の時間になってお開きになる。

この2人の言葉は共通するところがある。
そうなのだ。結局は自分というところの体力や濃度を増して行くしかないのだ。
ぎゅーっと精神統一をすると周囲が無音になるみたいな。
陶芸家さんが器のふちをなぞってなぞって自分のラインを研いで行くような。
だれがだれよりすごいとかだれが間違っていてだれが正しいとか、まあ全くなくはないけれど、人のやることを横目でちらちら見ながら作ったものが強度があるとは感じない。

今は本当に情報が溢れていて、簡単にいろんな情報にアクセスできて、情報がうまれ古くなるのが早い。
その海の中で流されて生きることもできるけれど、その中できちんと自分の持ち場をやり、小さくてもたしかに立つことが大事なのではないかなあと思う。

私は悲しいことに空気を読むスイッチオンができて器用貧乏で仕事に関しては営業脳だったりもするので、要請に応じることはできる。
でも、なんか要請に応じて仕事をしたりものを作ったりする時代はもう過ぎたのではないかなあと個人的に思っている。
それは私の人生、キャリア的にそういう時期が過ぎたのか、もしかするとこれは世の中のステージ的にもそうなのではないかなあと思っている。
私のキャリア的には説明がつくのだけど、きっとこれは世の中のステージもそうなのではないかと思っている。
SNSが浸透して今まで作られて来たタイプのウェブサービスに限界と新しい芽が見え始めて、個人の近しい繋がりや地域やライブな場所が再考されて久しい今。
でも私は仕組みを作る仕事をしたことがないのでそこはイマイチ裏付けができない。

今度仕事のできる同業界の戦友に聞いてみよう。
きっととても明快に意見を言ってくれるにちがいない。
自分の持ち場をしっかりやっている人は明快だ。

でも、どんなにそれが影響を与える人が少なくても動くお金がなくても、自分の持ち場をきちんとやることがこれからの仕事の仕方なのではないかと思う。
流されず振り回されず自分の役割、作用を価値あるものと信じてよいものにする。
それがこれからのはたらきなのではないかなと思ったりもする。

振り回されて落ち込んで疲れてたどり着く答えは強さが必要だけどシンプルだ。
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by mizuki_n0314 | 2014-11-06 22:14 | work

ショートショート:「そ」そらごと

たしかにあの日彼は歩いていた。
歌をうたっていた。
言葉をつむいでいた。
音楽だった。
明日食べるヨーグルトを買っていた。
冷蔵庫に残ったままのヨーグルト。

果たされることのなかった日課。
天使になった彼のすべてはだんだんそらごとになる。
そらごとはうそ…そらに昇っていった彼にはふさわしい言葉かもしれない。
そらごとになってしまいたかったのかもしれない。
そんなの誰にもわからない。

きっと、そらの高くでギターの音にあわせて手をひらひらさせてリズムをとっているだろう。
地上から足がふと離れて、そらでただ、今までと同じように歌をうたっているだろう。
一瞬のこともはるか彼方のことも、思わせぶりな言葉もただのラララもうたっているだろう。

きっと、ずっとどこかでうたっているだろう。
天使になれなかった私たちのことなんて忘れてうたっているだろう。

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by mizuki_n0314 | 2014-11-05 21:57 | short short story

ショートショート:「せ」台詞

きれいな台詞を口にしようとすればするほど遠くなる。

ただ言葉は時にきまぐれで、時に形にならず、シャボン玉のように消える。
言葉はいつも裏切り者で、時に私を振り返らず、急に背中を向ける。
言葉はでもうまれたくて、時にうまれなかった言葉は、けむりのようにぐるり私を包み込む。

次に会ったらこれを言おう、次にあなたが笑ったら、次にあなたが目を伏せたら。
でも、結局次にあなたが見せる顔はちがって、用意された舞台なんてなくて、台詞は行き場がない。

見つめればいいのか、抱きとめればいいのか、でも、どこかで言葉を信じてる。
芝居がかっていてもいい、ずっと残る台詞を探してる。
ずっと探してる。

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by mizuki_n0314 | 2014-11-04 00:50 | short short story

ショートショート:「ふ」冬のしるし

意識がぼんやりする。
ホットカーペットの上にほっぺたをつけて横たわる。
気付くと夢ともうつつとも知れない感覚だけの時が流れる。
目を閉じて手触りを思い出す。
大きく手をまわしてしがみつく広い胸。
安心したように吐いた息。
ただその優しくほどけた顔だけがぼんやりかなたに見える。
夜なのか朝なのか夕暮れなのか。

しっとりとしたその肌に頬をつけてあたたかさを感じたい。
だんだん熱を帯びるベッドの中。
暑すぎて投げ出した足に触れる冷えた空気。
乾燥した空気。

これはきっと冬なのです。
夜が長い冬なのです。
冬のしるしを、今年の冬の手触りをなぞるようにしてまた眠りにつく。

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by mizuki_n0314 | 2014-11-03 22:09 | short short story


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